海外移住・バリ島での過ごし方③ 土台が無い “0” から作る

当初は海外渡航の経験も少なく バリ島に仕事で一度しか行った事がない私が どういう訳か バリ島に暮らす事になったきっかけは 結婚して何処に住む?? からの選択でした。日本に住む選択もあったのですが、やはりその当時は外国人の雇用などは難しい状況でしたので、私がインドネシアに移住した方が 暮らし安いかと思いました。

うちの旦那さんは 中部ジャワ出身者で いわゆる日本では京都?のような古都出身者。 男でも はんなり系の ゆったりした性格。私の住んでいた TOKYO で生活するイメージは皆無でした。       ジャカルタで出会ってから 何度もジャワ島 方面は 色々な地域を巡り 現地の暮らしぶりを     お宅拝見&リサーチしていましたが、とにかく生活してみよう!という軽い気持ちで行動をお越しました。生活には仕事。そして 仕事をするにも住むにも大変そうだ~。。でもやってみよう。。

結局 ジャワ島ではなく 観光地 バリ島が一番住みやすそうな感じ〜。というだけでの選択で二人とも初めての土地バリ島へ。

今 考えると お互い 知り合いも拠点もなーんにも無い 未開の場所 バリ島で ”0” からのスタートが 逆に大変な思いもありましたが ポジティブな結果となったのだと思います。頼るものもなく ”0” から作っていく。それは どうゆう事か?その時の私の目標としては、

  • 信頼できる人を 探す
  • 現地の環境に慣れて生活をする
  • 全く知らない旅行の仕事を覚える
  • 日本での本職だった ヘアメイクや ウェディング関係の現地リサーチ
  • そして 多くのバリ島のリゾート ホテルへの 現場 視察リサーチ

その時の事を振り返ると 今まで日本では比べ物にならないくらいの情報を頭に入れ込み       勉強し 外へに出て実際を見て感じること。

そして 日本では全くやったことのない事務系の仕事をこなすこと。

とにかく必死で0を 1に2に… という感じで 毎日勤務が終わってから2時間ぐらいは会社に残り 資料に目を通し 分からない英語を辞書で調べる。今はパソコンの時代ですから検索して すぐに探していることが探せます。その当時は知らないことを探すことや知ることは 今よりはるかに時間がかかったものです。大きな壁を沢山乗り越えた気がします。

私のように 美容系の仕事をしている人の特徴としては(美容師や業界ヘアメイクに携わり約15年ほど)  全くもって事務系の仕事や常識は皆無だったので 今でも昔の同僚は事務系の仕事は凄く苦手ですね。

今でも 得意と言うわけではありませんが、同じ年齢の方々に比べて まださまざまなツールは使えている方かな〜。と思いますが 当時は本当にヤバイぐらい素人&インドネシア語+英語は全く皆無状態でしたので やる気&根気 のみで やり通した感じです。

旅行会社に勤めはじめたので 日本語ができる人常に近くにいると思いきや それは甘い考えでしたね。会社の中には日本語を話せる人はいませんでした。と言うことで どうやってコミュニケーションを取るか?だって仕事はチームでやるべきものなので。

  • 私に有るものは 時間+やる気+根気 のみ

という事で ノートに図解でコミュニケーションを取ろう!と決めました。実は私の周りのインドネシア人は大学を卒業した いわゆる 現地では 学歴のある方々。。

当時は インドネシアも今よりはるかに 学歴社会でしたので 高卒&美容専門学校卒業 の経歴は 私 だけ。 現地の人には何でこの人がこの会社にいるの〜。って感じだったと思いますよ。     だって 悪口を言われても言葉が分からないので スルーできました。それと 負けず嫌いな性格とポジティブさ で乗り越えた感じですね〜。

そして目標だった

  • 信頼できる人を 探す
  • 現地の環境に慣れて生活をする

に関しては 地元バリ島の人々や現地で出会った日本人の方々にも助けられ 少しづつ達成していったのでした。

その他 3つの目標は もう少し時間がかかります。

それでも 30代の私には 今とは比べ物にならない エネルギー(やる気)に溢れて

困難をどうにか乗り越えて行きました。

次のブログに続く~

https://www.balijapanblog.com

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